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マウナ ラニとゴルフ シニア スキンズゲームの歴史

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マウナ ラニ リゾートのチャンピオンシップゴルフコース「サウスコース」は、1990年 - 2000年にわたり、世界で最もエキサイティングなゴルフマッチの一つとしてテレビでも放映されたシニア スキンズゲームの会場として使用されました。「スキン」とは、1ラウンドの18ホールごとに最もスコアが良かったプレーヤーに与えられる賞金のことで、シニア スキンズゲームもプレー方式は基本的に同じですが、タイが2人以上いる場合は次のホールに持ち越される点が特徴です。マウナ ラニ リゾートはこれまでに、Raymond FloydやArnold Palmer、Jack Nicklaus、Lee Trevino、Chi Chi Rodriquez、Gary Player、Hale Irwin、Jim Colbertといった名プレーヤーたちを迎えてきました。

下院議員、すぐれたゴルフプレーヤー、スポーツフィッシャーマンとして活躍 フランシス・H・イイ・ブラウン

Francis I'i Brownは、1930年代の初めから土地を購入し始めました。カラフイプアアは、ハワイの人々にとって神聖な土地として知られています。ハワイ諸島を統一した偉大な王、カメハメハ1世はこの地に小さな漁村と、貴重なフィッシュポンドに隣接するカヌーの発着場を所有していたと伝えられています。1936年にこの土地を手に入れたBrownは、カラフイプアアが永遠に「ハワイらしさ」を失わないよう、その保護に力を入れました。

長年にわたりこの地を管理する中で、Brownはフィッシュポンドを復活させ、簡素ではあるものの道や擁壁を造り、たくさんのヤシの木を植えました。それらは今なおこの地に残されています。Brownは1972年にこの土地をマウナ ラニ リゾート社に売却しました。後に相続人であるKenny Brownがマウナ ラニ リゾートの会長に就任し、2014年に亡くなるまで、一族としてその保護に取り組みました。Francis I'i Brownは優れたアスリートとしても有名でした。ボートや釣りなどさまざまな分野でその才能を発揮しましたが、なかでもゴルフの腕前は目を見張るものがありました。ビング・クロスビーが、自身が豪邸を所有するペブルビーチで主催したクラムベイクに出場。また、1924年の全英アマチュアゴルフ選手権の前には、セントアンドリュースのオールドコースの練習ラウンドで62というスコアをたたき出し、ハワイのゴルフコースにおける最高記録を達成しました。また一時期、ハワイ、日本、カリフォルニアで同時にアマチュアチャンピオンになるという偉業を成し遂げました。

フランシス・H・イイ・ブラウン・ノースとサウスの2つのゴルフコースは、黒い溶岩でできた広大な土地に建設されました。1981年に最初にオープンした18ホールのコースは、ホーマー・フリントとレイモンド・ケインが中心となって設計を手がけました。この素晴らしい景観のゴルフコースには、太平洋に面した広い入り江を横切るパー3ホールが1ホール、そしてすぐ横に溶岩の大地が広がるパー3ホールが1ホールありました。また、多くのホールでは、緑がまぶしいフェアウェイやグリーンで、ランディングエリアとフェアウェイの両側にある溶岩を避けてプレーしなければなりませんでした。どちらのコースも、オープン以来とても高い評価を獲得しています。