ストーリーをシェアする

DearJournal@aubergeresorts.com

マウナラニのストーリー

マウナラニのストーリー

知る DANNYとの「トークストーリー」

DANNY

ハワイの歴史と文化に精通する当リゾートきってのエキスパート、Danny Akakaはとても人気者です。Hale I'ike(ハレリケ)文化センターを訪れる人は皆、彼の晴れやかな笑顔と丁寧なあいさつに迎えられます。そんな彼は、アロハの心を体現したような人物です。寛容でのんびりしていて、ハワイとそこに暮らす人々への愛にあふれています。彼のおもてなしの精神は、家族から受け継いだものでもあります。彼の父親は米国の元上院議員として尊敬を集めました。また彼のおじは「アロハスピリット」という言葉を生み出した人物。そして祖母は、タロを栽培する農民が家の前を通ると必ず休んでいくようすすめ、冷たい飲み物などでもてなすような人でした。

Dannyは、リゾートがここにできる前からこの海岸地帯を知っていました。伝説的なフィッシュポンド、カラフイプアアを訪れたのは1970年代、彼がまだ若い学生の頃でした。彼と後に妻となったAnnaは、ハワイ大学で最初にハワイ研究を専攻した仲間です。二人は、今日ハワイアンルネッサンスとして知られる運動の担い手となり、昔のハワイが息づくこの地を経験するため、教授は生徒たちをここに連れてきました。当時はまだクイーン・カアフマヌ・ハイウェイがなく、ワイメアからプアコをを抜けて海に辿り着くまで未舗装の道路を通りました。パニアウでは、あるハワイ人の一家が生徒たちに敷地を通らせててくれましたが、そのときに出した条件が、そこで冷たいビールを飲んで「ストーリーを語る」というものです。「ある時はそこに3日も留まることになった」とDannyは笑います。

ハワイの若い世代は、カラフイプアアに畏敬の念を抱いていました。「暑く乾燥した埃っぽい場所を走り抜けた後、私たちはこのオアシスにやって来たのです。ミロとココナッツの木、ボラが跳ねる大きな池、これらの風変りなコテージのすぐ前に広がる美しい青い海。まるで昔にタイムスリップしたかのようでした。パラダイスに到着したように感じました。それが非常に印象的でした。ホノルルで育った私は、このような場所が今でもあることを知りませんでした」とDannyは当時を振り返ります。若い頃、彼はサーフィンをしたりライフガードになって泳ぐ人たちを守ったりして日々を過ごすワイキキのビーチボーイになることを夢見ていました。そのかわり、彼はマウナラニが1983年にオープンすると、そこで働き始めました。長年にわたり庭師やホテルの歴史家、文化ディレクターを務めてきた彼ですが、本当の仕事は、当リゾートの良心とも言うべき存在でいることです。

時間を作って、ハレリケ(Hale I'ike - ハワイの言葉で「知識の館」)やフィッシュポンドのそばにいるDannyの元をぜひ訪れてみてください。リリウオカラニ女王を知っている彼のおじいさんについて尋ねたり、二重船体のセーリングカヌーでマルケサス諸島へ向かったときのことを聞いてみましょう。Dannyは、ハワイの昔ながらのホオキパ(ho'okipa-ハワイの言葉で「おもてなし」)でお客様を温かく迎えてくれることでしょう。思った以上に長居してしまっても驚かないでください。マウナラニのストーリー

#AlwaysAuberge